- Wednesday, December 16, 2009 - 02:30 AM
■「【出版不況】 今年10ヶ月で170誌休刊 本が全然売れません」>●
在米のせいもあるけど、邦字雑誌は買わなくなったなあ。
漫画はほぼ単行本派だけど、こっちは買ってますね。
■「ちょっとキツイけど禿げのありがたいお言葉」>●
禿げ=富野監督です。
わたし的には「ハゲ」=ジョブズですけどね(笑)
でも、言っていることは全くの正論です。
同人誌が漫画家の訓練にならない、というのもその通り(ただし。漫画を描く訓練を意識してやっている場合は別です)。
そして、主さんの最後の一言に、全面的に賛成です。
遅すぎることはないです、絶対に。何もしない方がよっぽどダメです。
■世界最速のヴァイオリニスト、速弾き定番曲「熊蜂の飛行」でギネス記録更新。
速っ!!!!!!!!!
…というより、このドイツ人ヴァイオリニストの顔が好みです。
ええ、それだけです。
■「厨二設定考えるのが好きなやつちょっと来い」>●
呼んだ??
暴走した弟子を命がけで止める師匠…といえばアンデルセンだが、命がけではなかったなあ。でも、マクスウェルが死ぬシーンは、白眉。
厨二設定は、考えるの面白いよ。
そればっかりになっちゃうとダメなんだけどさ。キャラの厚みが要ると思う。
■「もっと飲み会を続けたいのに断られ自殺」>●
すみません、意味がわかりません。
バカなんでしょうか。バカなんでしょうねえ。
■「顔だけ描けて体がダメな奴」>●
「線」は必ず「実物」を見て描くこと
初めての人でも、線で描けばけっこう早くモノのカタチがうまく描けるようになるものです。
そこで「実物」を見る、ということを忘れ、線の「サラサラ描き」に軽く色を付けた絵だけを描くようになってしまう人がいます。
線で描くことは、「実物」を穴があくほどよく「観察」した上で発見したものをペン先で紙の上に、いわば翻訳するようなものです。
見ることを忘れて描くということは、記憶とか概念でしか描いていないことであり、まるで原本を見ないでいいかげんに翻訳することと同じです。
よくよくモノを見つめれば、だれにでも「線」は見えてきます。そして見るほどに線の数は多くなるものです。「描き込み」するようになります。
とくに初心者は、できるだけ細かく「描き込み」をしなければなりません。
「サラサラ描き」はそうした描き込みを百枚、千枚と描いた人が、旅先など時間がないときに行う、いわば余技のようなものだと考えてください。
ああああ、そうそう、そうそうそう!
とある画家のお言葉だそうですが、なるほどなあ、その例えはすごく納得。
わたしが写真を揃えてからじゃないとかもせなくなったのは、そういう理由だったのね。
昔に比べれば破格に上手くなったのにおかしいなあ…とか思ってたわけよ、ちょっと(笑)
サラサラ描きはラフでなら通用するんですが…。
本番はやっぱり、ダメですね…。
資料があって描いたのと、そうでないのとは、歴然と差が出ます。資料なしで「サラサラ描き」すると、記憶や手癖で描いている箇所が、違和感としてハッキリと出てきちゃうんです。
もうちょっとヘタクソだったころは、ごまかせてた…というより、全体がヘタクソで違和感が表に出にくかったんですよ。
しかしながら、その状態は「表に出ていないだけ」で、どこかに違和感を内包したままなので、それが「ヘタクソ」に見える理由なんじゃないかと思います。
バナーになると、腰から上を描くことが多いのですが、必ず、腕と手で何かさせるようにしてます。そのふたつのパーツが、空間を切って構図を演出し、キャラの演技を決めるから、というのが理由のひとつ。
そして、もうひとつは「腕と手は、いくら描いてもいいくらい、ものすごく難しいパーツ」だからです。たくさん経験値を積むために、できるだけ画面に入れます。
今はようやく、失敗しにくくなったものの、やっぱり資料(自分の手を含む)が必要です。
いやー、でも、上手く描けなかったものが描けるようになるのって、すごい快感ですよ。
画力がつくってこういう事か、と思いますもん。
完璧じゃなくとも、とにかく何とか観られるように仕上げる…というのを続けて、ある程度の経験値がたまると、何もしなくてもいきなり描けるようになるんです。
ふっ、と「こう描いたらいいんだ」ってわかるんです。
興奮しますよ、その時は(笑)
まあ、御存知の通り、わたしもまだまだなんですけど、ここしばらく特に、絵を描いているとチビりそうになるくらい楽しいです。もうホントに。
バナーもそろそろ替えられるし、次のネタを考えなくてはなりません。
誰をかもしましょうかねー。

















