- Sunday, September 05, 2010 - 11:00 PM
■「『クッキングパパ』の“キムチドリア”を再現!」>●
キムチとチーズ、キムチとホワイトソースは、合うんですよねえ。
すごく美味しそう!
ホタテを入れる、というのがアイディアですなあ。ホタテはこっちでも手に入りやすいので、やってみたいです。
■「今年のハロウィンは、ホラー小説の鬼才の暗黒アーティスト、クライヴ・バーカーがデザインしたシュールなコスチュームで仮装しましょう…!!」>●
おおー、こんなんやってたんかい!
っていうか、早く「アバラット」の続きを書いてください、先生。待ってるんですけど?
クライヴ・バーカーの絵がそのまま立体になった感じですな。メイキングを観ると、まさにそんな作り方でした。
以前から申しておりますとおり、わたしはかれの絵が大好きです。
メイキングの冒頭で、CCIでのサイン会の様子がありますが、わたしならハードカバーでもペーパーバックでもフィギュアでもなく、画集を持って行ったことでしょう。
■クライヴ・バーカーの絵はこんな感じです。

キャンバスに筆でガスガス描いていくんですけど、それを見ているとすごく気持ちイイのよねえ。
「アバラット」の新作を待ち続けて何年になるんだか(笑)
全てのイメージを本人が描いているので、ハードカバーが画集にもなってしまう小説です。
■「『ハチミツとクローバー』の孤独と天才の描き方」>●
「ハチクロ」と「昴」、過剰に悲壮感を漂わせる「恵まれた天才」の描写について。
「極端な言い方すると、ハチクロは凡人からみた天才へのルサンチマン(あるいはその昇華)を描いた漫画だと言えるかも。」
ああ、そうね、確かにそうかもです。
「三月のライオン」は、そこがもうちょっと突っ込まれてる感じがします。
はぐちゃんと森田の「天才ぶり」の描かれ方が、ちょっと突飛、かつ不足していたせいもあって、リアルな「うわっ」感があまりなくてフワフワなのは、そのせいかもしれません。
わたしは「ハチクロ」を貸した人から「はぐちゃんみたいだ」と言われて、何だか微妙な気持ちになったことがあるんですが、それはわたし自身が一番、「自分ははぐちゃんや森田じゃない」と知っているからだと思います。
まあ、それを言った人は、そこまで深く考えて発言したわけではなく、単に、絵が上手くてすごい、図々しく言えば、その人から見たらわたしは天才に見える…という意味で言ってくれたようなのですが…。
わたしは「努力して才能を育てた」タイプです。
天才に憧れたことは当然のようにありますが、自分はそうではないです。
で、わたしは最近、「ライオン」、そして同じように日本の伝統競技を描いている「ちはや」のどちらも、最終的な到達点(=主人公の究極のライバル)が不思議ちゃん、ってのが何かひっかかってるんですよね。
やっぱり、「究極の天才」は描写しにくいからなのかなあ、と。
そういう意味では、「昴」の「究極の天才」=プリシラは上手く描かれていたと思います。
「究極の天才」が、あがき、七転八倒して新作に取り組む姿が描かれたりと、ブッ飛んでいるにも関わらず、ちゃんと読み手が入り込める「隙」も持っている、という…。
もう一つ、「天才」を描いた作品に「テレプシコーラ」があるのですが、これは最終回のオチ方によって、全体の方向性が定まると思います。
挫折した「天才」と、自分の全てをかけて挫折を乗り越える「天才」、そしてその双方を知る、努力する「天才」である主人公。
その努力する「天才」は、自分の知る二人の天才とは、違う道を行きたい…と、既に作中で宣言しているのです(モノローグでだけど)。
この構図が、最後に何をもたらすのか、非常に期待しています。
こうやって他者の考察を知ることができるのは、自分の考えを確認することにもなるので面白いですね。
「テレプシコーラ」は、ダビチンの11月号に、番外編が載るのだそうです。
「六花のHバレエ学校」という、意味深なタイトルのようです。
■ご心配をおかけしてすみません。
考えすぎてもしょうがないことなので、手近なことからやっています。
こういう時こそ、絵を描くという行為が、わたしを救うのでしょうね…。
少し前にわたしの頭の中に棲み付いた「完成している絵」は、ロイ…というかカミラ(わたしがロイをモデルにしているキャラクター)というか…を描いた絵です。何かの予兆だったんですかね。
PftPを聴いたら、もっとイメージが明確になるかも。14日が楽しみです。
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