- Friday, June 10, 2011 - 11:11 PM
■「Harry Potter : ポスターを毎日1枚ずつリリースするのは迷惑だと気づいてくれたらしい?!ワーナー・ブラザースがシリーズ最終章の完結編「ハリー・ポッターと死の秘宝 Part 2」のキャラクター・ポスターを、いきなり11枚まとめて、いっぺんにリリース!!」>●
1枚ずつだと、正直、追いにくいんですよ。
まとめてリリースはありがたいんですけど、ほとんどが「杖腕を上げてワンドを構えてる構図」なので、ちょっとバリエーションに乏しいのが残念です。
マクゴナガル先生は、もうちょっとまともな顔を選んであげて欲しかったです…。
■「Green Lantern : ライアン・レイノルズの「グリーン・ランタン」を、まさにコミックのヒーローとして描いたらしいワーナー・ブラザースが漫画チックなアクション場面の動画をリリース!!」>●
あ、一応、ネタバレになるようです。
トレーラーでかなり公開されちゃってますけどね。
アホっぽいっちゃそうですけど、そもそもグリーン・ランタン・コーズの衣装がアホっぽいので、あんまり気にならないです。
アメコミ映画は、そんなとこ突っ込んでたら楽しめませんわよ?
■ここしばらく、立て続けにこの手の作品を観てて感じたのは、この手の作品を面白いと感じるかどうかって、設定のリアリティじゃないのでは、ということです。
わたしもまだそういうことを「感じ始めた」だけで、はっきり「こうだ」とは言い切れないのですが…。
ストーリーにある程度のリアリティをもたらすための、ストーリーそのものと世界観の作り込みやつなぎはもちろん必要だけども、そこが良く出来てたら面白いか…というと、そうではないような。
それよりも、キャラクターを通した感情的な部分の説得力がある方が、観る側は作品に感応しやすいんじゃないかと思うんです。
多少、「そんなアホな」ってとこがあっても、感情移入してると誤魔化されちゃうんですよね(笑)
逆に、感情が入ってない=作品に感応できてないと、粗だけが目についちゃうんです。
少なくとも、わたしはそうでした。
だから、「プリースト」には最後までついていけず、CGのパンダには泣かされちゃったわけです。
わたしはカタルシスが得られない作品は好きじゃないので、後味の悪い作品は基本的に観ません。
特に、漫画が原作の作品にはそういうところを求めているので、感情がついて行かない作品は、やっぱりつまらないです。
んーー、なんて言うのかな、ファンタジーとかフィクションを通して人が見るものって、すごくピュアなものなんじゃないか…と思うんです。
平素の生活の瑣末なものを削ぎ落した、対象そのものっていうんですかね。
愛憎だったり挫折だったり哀しみだったり怒りだったり…。
それぞれが、かなりダイレクトな形で存在するのではないかと。
それを見る、知る、そしてまた、その存在に気づく入口もしくはスイッチとして、キャラクターがある…と、わたしは思ってるんです。
キャラクターに感情移入するってことは、その世界に入る扉を開ける、またはスイッチを入れるのと同じ…ってことです。
なので、キャラクターに感情移入できない状態は、その世界に入ることを拒絶されてるも同じなわけで、そうなったらもう、観る側としては傍観者にしかなれないわけです。
そうやって「他人ごと」で俯瞰してる状態だから、粗の方だけが目についちゃうのかな、と。
このことは、ここ数年、わたしが自分の世界に関して考えてることの一部なんです。
ファンタジーに入り込む装置としての、キャラクターの存在。
その必要性と存在意義…ってのを、ずっと考えてます。
そのことを意識して描くことが、自分の作品に必要だと思っているからなんです。
動くわけでもない、ストーリーの説明も音もない、たった1枚の絵でスイッチを入れさせるわけなので、なかなかしんどい(笑)んですが、それは実際に可能なんです。
先達が既に実現していることですからね。
で、わたしの場合、その1枚にものっそい情報量を詰め込めばいいかというと、どうもそうではないようなんです。
単にわたしの構成下手だというのもあるかもですが、わたしの場合、キャラクターの表情や仕草のほうが、人を惹きつける力を持ってる…らしいんです(作者自身=自分のことなので自分じゃよくわからない(笑))。
中には、その絵に込められたあふれるほどの情報や、キャラクターを取り巻く世界が「引力を持つ存在」である人もいると思います。
そして、その「引力」はたぶん、実際に描く時、自分がどこに楽しさを感じているか、から来てるんです。
わたしの場合、ご存知の通り、人の顔を描くのが好きです。
だから、やっぱり、何がしかの力がそこに宿り、観る人もそこに惹かれる…ということなのでしょう。
…そんなことを、ここ数年、ずっと考えてます。
ゆえに少しずつ、また、絵が変わってきてます。
定期的に陥る状態ですが、落ち着いた今になってみてみれば、ここ数カ月のあいだ自分の中身=心にまた、変化が起きていたことがよくわかります。
それこそ、回りはじめの独楽のように、不安定でグワングワンしてました。
しばらく前にようやく、スピードが乗って安定してきたのを実感してます。
たぶん、階段を上がれたんですね。
周囲の人に、かれらの専門である様々なジャンルのこととして訊いてみても、やっぱり、成長というのは右肩上がりで坂を登るようなものではなく、階段を登っているようなもの…ということを言われます。
定期的にマンネリ状態というか、悩む状態がやってきて、それでもめげずに色々と試行錯誤しながら頑張っていると、ある日いきなりその状態を脱却する…階段を上がる、という流れです。
そこで大事なのは「続けること」です。
続けたからこそ、そこからの脱却という、ダイナミックな変化が訪れるのですから。
少し前のわたしも、大きく回りすぎて動きがままならない状態でしたが、とにかく回り続けました。
結果、スピードが上がって安定したわけです。
だから、わたしのしばらく前からのモットーは「続けることこそ大事」という、とってもシンプルな言葉です。
続けましょう、できるまで。
考えましょう、わかるまで。
周囲と比べて遅くたって構わない、でも、止めてはいけないんです。
むしろ、他の人はどうでもいいんです。
自分の為にやってるんですから。
命があって、頭が動いて、手が動いて、続けられることに対して、とっても感謝しつつ、続けましょう。
やるぞーーーー おーーー わーーーー うおーーーー
















